たいした問題じゃないが

たいした問題じゃないが―イギリス・コラム傑作選 (岩波文庫)
 最近たまたま読んだコラム集。 二十世紀初頭のイギリス作家四人によるアンソロジー
 この本のなかで、日記をつける習慣について書かれたコラムがある。
 ・新聞記事によると、最近日記をつける習慣が廃れてきたらしい。
 ・だいたい、多くの人の日常生活のなかでは、日記 に書くに値する出来事など 滅多に起こらない 。
 ・ 日々の忘備録として、あとで読み返してみると、案外役に立ったり当人には面白かったりすることもあるかもしれないが、基本的には退屈なものだ。
 ・だから、少しでもおもしろくするために、出来事そのものよりも、それに対する自分の内面の動きなどが重点的に書かれたりする。
 ・将来、自分が伝記に書かれるような事があれば、日記の内容が世間に知られるようになるだろうが、そんなことはめったにない。
 ・日記がもっとも役に立つのは、自叙伝を書くときであって、「何年の何月、わたしが○○をしたとき~」みたいに正確に日付をかけたら、記憶力良いアピールができるから、便利ですよ。

 みたいな内容だった。コラムを書いたのは、「くまのプーさん」の原作者として知られるミルン。
 確かに、そうだよなあ、と思う部分もあるが、今の世の中には(僕が今現在書いているような)、他人に読ませることを前提にした日記とでもいうべき、ブログというものがけっこう流行っているし、また、フェイスブックやインスタグラムなどにおいては、聞いてもいないのに自分のささやかな日常を他人に触れて回る行為が横行している。
 ミルンがコラムを書いたのは、おおよそ今から百年前のことだが、人間の生活については、根本的には変わっていないように思える。毎日毎日自分の日常が特筆するに値する、なんて、恵まれた人はめったにいないはずだ。
 ただ幸か不幸か、現代人はネットにとり囲まれており、まっとうに社会生活を営もうとすると、SNSへの参加を半ば強制される点が、今と昔とで大きく異なる。
 だからといって、無理して日常から面白い出来事を捻り出す義務はないし、ましてや、日記に書くためになにかやらなければならない、なんて思い詰めるのは、バカらしい話である。

 テレビ、更にはネットの普及によって、有名人というのがとても身近に感じられるようになった。というか、ユーチューバーなどのように、いかにも素人くさい、身近に感じられる存在こそがウケて、有名人になるような時代だ。
 ついつい自分も、簡単に有名人になれるような、それどころか特定のコミュニティのなかでは既にちょっとした人物であるかのような錯覚も、簡単に得られてしまうものだ。しかし実際のところ、自分に興味を持ってくれる人間の数よりも、世の中には「他人に興味をもってもらいたい」という欲求を持っている人の数の方が圧倒的に多い。
 「お前が思っているほど、他人はお前には興味がない」のである。

 当人とその周囲に広がる限られた集団以外にはほとんど意味のない情報は、既にネットに氾濫していて、それは今後更に増えていくだろうし、しかも一旦書かれた情報は半永久保存される。
 SNSに残された痕跡は、ある意味では断片的な自叙伝だ。発信者が死んでしまったら、それはそのまま雑白な墓碑銘になる。
 自分の内面を他人に伝えることは不可能なので、それは言動から推測してもらう他ない。いずれは誰もが死んでしまうが、それまでの間、僕たちはSNSを使って、自分の墓石に文字を刻み続けていく。
 つまるところ自己満足ではあるけれど。